登録商標 大政名物塩釜焼の紹介記事

朝日新聞夕刊 1996年(平成8年)5月25日掲載記事
味ごころ・旅ごころ「にゅうすらうんじ」

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佐賀・唐津 太閤焼き

「タイ焼きのようでタイ焼きでない 塩で包んで本物のうまみ引き出す」


タイ焼きだが、いわゆるタイ焼きではない。禅問答のようになったが、ひとことで言えば、本物のタイを塩で包んで焼く料理。できあがった色、形が、あんこの入った菓子のタイ焼きに似ているのだ。 
一般には塩釜(しおがま)焼きという。佐賀県唐津市では「太閤焼き」と呼んでいる。玄関前の看板に「名物 塩釜料理」と打ち出し、文字通りの看板料理にしているが、唐津城の西隣にある旅館「大政」。 
調理は、新鮮さが売り物だけに、いけすからマダイを網ですくい上げることから始まる。水温は7度と低めに保ち、2、3日はえさを与えない。身を引き締めるためで、すかさず頭の急所を突き、うろこをはぎ、内臓を取り出す。
次は衣づくり。粗塩1・5キロに、つなぎの卵白を加え、耳たぶの軟らかさになるまで2、3分、手でこねる。これを1センチ前後の厚さでマダイに塗りつけ、魚の形に整え、目玉とうろこの絵を描く。見た目の楽しさもさることながら、余分な蒸気を逃がす役目もあるという。
ガスオーブンに入れて待つこと30分。表面がこんがりキツネ色になった姿は、まるで超ど級のタイ焼き。「子どもさんたちが大喜びです」と、おかみの田中フヂ子さん。
太閤焼きの名には由来がある。唐津市に近い鎮西町に名護屋城跡がある。かつて豊臣秀吉がここに陣を構えた。その際、玄界灘のタイの見事さに感激し、病に伏す母の大政所に、うまみが失われないよう塩で包んで焼いて、早馬で送ったという。だから太閤焼きだ。
名付け親は唐津市旅館協同組合。秀吉の時代から約四百年たった1976年の佐賀国体の直前に、唐津の名物料理を売り込もうと、組合の若手料理人たちが命名した。
だが、秀吉の話を裏付けるきちっとした資料や文献が残っているわけではない。命名した当時の関係者は「文献で見たような__」と振り返るが、地元郷土史家や県立名護屋城博物館の学芸員らは「裏付けとなる文献は見たことがない」。深いせんさくは無粋か。
食べる際は、硬くなった塩の衣を、身崩れしないように竹べらで慎重にはがす。ぱっと甘い香りが蒸気とともに上がる。田中さんから事前に聞いていた通り、身が塩辛くない。「タイは塩水の中で泳いでいるが、身がしょっぱくないのと同じ。タイ本来の味です」
焼き上がって10分以内に食べ始めてほしいという。熱いうちが食べごろ。「大政」では太閤焼きの出前もしているが、車で10分以内に届けられる範囲だけと決めている。
このことからも「早馬で――」というのは怪しげだ。大政所のいた大阪には、玄界灘と並び、タイのうまい鳴戸、明石の海がもっと近いのだから。
「大政」では、ヒラメや車エビについても塩釜焼きを試みた。だが、タイほどのうまみはだせなかったという。本来の味を引き出すこの調理法が、魚の大様といわれるタイのおいしさを証明した格好だ。(佐賀支局・久恒 勇造)記事全文。


【写真説明文】
(写真・上)マダイに塩を塗り付ける。「こつは新鮮な素材を使うこと」
(写真・下)塩の衣、さらに皮をはぐと、身は白く、血合いはきれいな茶色に
(写真・左)できあがった太閤焼き。右下は菓子のタイ焼き=写真はいずれも唐津市東城内の旅館「大政」で


タイ供養の紹介記事

西日本新聞佐賀県版 2002年(平成14年)4月7日掲載記事

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看板料理守り続け 旅館主人が初供養 唐津市内の「大政」

「唐津名物・塩釜焼のタイ」

1970年代に唐津市の多くの料亭で人気を集めたが、今ではほとんど見られなくなったタイの「塩釜焼」=写真。この料理を途絶えることなく、看板料理として守り続けている同市東城内の旅館「大政」が4日、初めての「タイ供養」を、旅館前の西の浜で開いた。同旅館を経営する田中謙次さんは「タイへの感謝の気持ちから。塩釜焼を唐津名物として大事にしていく」と話す。
塩釜焼は、タイを姿のまままるごと塩で包み、蒸し焼きにした料理。田中さんは旅館業を始めて約8年後の1962年、当時、唐津では珍しかった塩釜焼を始め、「タイの自然のうま味がある」と評判になった。
1976年に佐賀で国体が開かれた際、「唐津の名物料理として全国に知ってもらおう」と市が旅館などにメニューに入れるよう呼びかけ、市内の旅館5、6軒が始めた。しかし、徐々に扱う店は減っていったという。
その中で田中さんは約3年前、大政の塩釜焼を唐津の塩釜焼の元祖との思いを込め「大政名物塩釜焼」として商標登録。祝い事や宴会の目玉料理として守り続けている。
供養では、唐津神社の戸川惟継宮司が神事を執り行い、タイ一匹を唐津湾に放流した。田中さんは「年に1,500匹のタイを使う。『いつか感謝の行事を』と思い続けていた。来年以降も、春に行いたい」と話した。

【写真説明文】
(写真・上)唐津湾を望む浜辺で行われた「タイ供養」。写真左が田中さん。隣は妻・フヂ子さん。


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