お客様から、よく言われる宿名の由来は、清水の次郎長率いる
「大政」「小政」から来たんじゃないか・・・・と。

違います。実は

「大政」と言うのは、豊臣秀吉のお母様からとった宿名なのです。

「大政所(おおまんどころ)

戦国〜安土桃山時代。豊臣秀吉の生母。
尾張国愛智郡御器所村の出身で、加藤清忠の妻(清正)と従姉妹の関係に当たります。

天正10(1582)年、明智光秀が「本能寺の変」により織田信長を弑逆。
長浜城も明智軍の攻撃目標と想われたため城から避難し大吉寺へ逃げ込む。
その後「山崎合戦」で光秀を討伐した秀吉と再会を果たします。

天正13(1585)年7月、秀吉は従一位関白に就任。
これに伴い関白の母となった、なか(本名)は、慣例に従い
関白の母に与えられる呼称「大政所(おおまんどころ)」と呼ばれるようになりました。
なお「大政所」とは「大北政所」の略であります。

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