先祖は村上水軍/赤帽引越便・赤帽緊急配送/赤帽新日本急便(佐賀県唐津市)(伊万里市)(多久市)(小城市)(佐賀市)(武雄市)

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赤帽 新日本急送
開業昭和62年・信用と実績/大型牽引長距離経験有/軽トレーラー運行中
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TEL 090-1514-8203

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 村上水軍の末裔です。佐賀県東松浦郡北波多村より

村上水軍の末裔です。佐賀県東松浦郡北波多村より  

 幼い頃より、私の先祖(母方)は松山藩(松平家)に仕官しており士族、昭和21年迄戸籍に記載(旧姓村上)と聞いていました。現在、松浦党(松浦水軍)波多氏の居城跡が在る、北波多村に住んでいます私の祖父の代に愛媛県今治市より、明治時代に移住し北波多村下平野の山奥を開墾し梨園を始めたようです。武士の時代が終わり、400年以前は村上水軍として海で活動した経験を活かしたのかどうかは判りませんが漁業会社を経営していましたが、倒産し祖父の兄弟達で九州に来たようです。母の実家には、鎧、兜、刀,槍等が有ったそうです。今治市にも親戚が居る筈ですが、昔の事なので現在はどこに居られるのかもわからず交流がありません。祖父の名は村上貞市(故人)です。佐賀県小城町と福岡に祖父の兄弟の子孫の方々がいるとのことですが・・・世代が変り遠い親戚になっていくので会ったことはありません。

インターネットのお陰です。
 
 詳しい事は知りませんでしたが、一昨年にパソコンを導入しインターネットを始めてから平安時代より現代までとその情報の多さに驚いています。いつの頃からか歴史に興味を持ち、テレビドラマ、書籍、新聞記事に関心を持つようになりました。今回、先祖のルーツを追う楽しみを見つけましたが、水軍関係についてはまったく無知でインターネットをしなければ判らずじまいになるところでした。歴史に登場する人物に関心があり歴史が好きだった私には大変興味深く、南北朝〜戦国時代と戦いの連続を生き抜き、三島村上水軍(能島、因島、来島・兄弟で分家)(能島が本家、村上武吉が有名、15万石に匹敵し、兵力一万人前後)

瀬戸内海から豊後森へ

 来島一族の総領(康親)は関ヶ原の戦い後に一時流浪の身に成り、広島城城主(49万石)の福島正則(信長の後継者争いで柴田勝家と秀吉が戦った銭ヶ岳の戦いの7本槍の一人、他に加藤清正、加藤嘉明、宮島神社の能舞台を寄進、関が原では一番槍の猛将)の娘婿であったため正則が徳川家康の重臣、本多正信(宇都宮吊り天井事件の正純の父)への取り成しで瀬戸内より豊後森藩(大分県玖珠町)の藩主に成り、同行した家臣が31家。家臣も山中に行くのが嫌で?藤堂高虎に仕官した神田通定(100石)等、その頃に一族が分かれ松山藩に仕官したのではないかと思われます。(私の想像)他に毛利家、紀州徳川家に家老待遇(4200石)で仕官している。なお来島氏は二代藩主の頃、久留嶋に改姓し幕末迄12代で明治を迎えています。五代、六代は幕府の官職である京都の伏見奉行を勤め伏見義民事件の吟味にあたっています。四代藩主の弟は佐伯藩の養子になり佐伯藩(毛利家){森から毛利と改姓、秀吉の中国大返しの時、一時毛利軍に拘束され、その資質を気に入られ毛利も森も似たようなもの以後毛利を名乗れとの命により改姓、毛利元就と血縁関係は無い}の藩主と成り、こちらも12代で明治を迎えています。

世が世ならお殿様

 最後の藩主の長男は久留嶋武彦氏(日本のアンデルセン)です。口演童話家、大分県の先駆者として紹介され子供の日、ボーイスカウト、幼稚園制度の確立に尽力され、川上音二郎・貞奴(最初の女優)と共演しています。幼馴染に中津市に居る頃、近所に村上功二氏(水軍の子孫)が居たそうです。功二氏は後に九州経済界の大立者、西鉄、井筒屋の社長をされ武彦氏に西鉄のフリーパス券を贈っています。(童心会館は功二氏の寄贈)現在も青少年の育成に尽くした人に、久留嶋武彦文化賞が贈られ、テレビ寺子屋の吉岡たすく氏、水戸黄門を演じた佐野浅夫氏等、毎年贈られ受賞記念パーティーには、橋本竜太郎夫人も出席しています。

東松浦郡名護屋城跡

 インターネットでは解りませんでしたが、名護屋城跡の大名陣跡案内板に来島通総(今治の大浜神社を再建1575年)の名を見ました。陣跡は呼子のフェリー乗り場付近、通総は兄の得居通之と大将格では二人だけ戦死しています。海賊大将らしき派手な衣裳で矢を数十本立てられ海中に落ち、引き上げられ寸刻みにされたそうです。(墓は愛媛県北条市)一説には朝鮮軍に投降し沙耶架?と称して朝鮮に住んだとも言われていますが、詳細は解っていません。沙耶架については新聞でもその武将が誰なのか解らないとの記事を見たことがあり、テレビでも沙耶架の子孫の部落が有ると放映された様な気がします。この件は記憶が薄れています。

豊後森(大分県玖珠町)を訪ねて

 初代藩主、康親は通総の次男で(玖珠町史の表紙に肖像画、大分大学教授が監修)仕事上、玖珠町は大分等に行く時に何も知らずに通過するだけでしたが、水軍の子孫の地と知り尋ねて見ました。現在の中心街、バイパスから外れた、小高い所に三島神社(現在、末広神社)があり側に陣屋跡の案内板(大名、藩主でも2万石以下は城を持てない、参勤交代での江戸屋敷は有った。神社が、城、見たいな造りで藩主の城を持ちたい願望の現われ?隣接地に天領の日田があり大胆な造りと言える。城を作るとお家断絶の恐れ、初代藩主の養父(福島正則)は洪水で石垣を無断で修復し藩主の座を追われている。幕府の取り潰し政策の表れ?文武両道に優れた八代藩主の時に造営、小説(白石一郎著)に登場し側に石像がある。周辺に静寂な小道が続き、城下町だったと想わせる家並みが有り藩主の菩提寺(曹洞宗)久留嶋家の家紋、(八角形のなかに三の波線)があり、奥の方に歴代藩主の墓が有る、徳川幕府の成立から終焉迄の同時代を生きた歴史を感じさせる。寺に入ってすぐ(久留嶋会、建立の案内有り)に武彦氏の墓があり、寺には不似合いなマリア像が彫られている、氏が学生時代にキリスト教を信仰した為、宗家を継いだ叔父から除籍され苦労されたらしい。五月五日には童話祭りのイベントが行われ、童話の里として知られています。

村上兄弟について

 小道を挟んで向かい側のお寺の境内に村上兄弟の墓が有り、村上水軍の子孫かと思い住職の奥様に尋ねた所、現地に優れた人が居たので、藩主が気に入り村上の性を与えた、それを古くからの家臣が妬み、藩主毒殺の企みの讒言により切腹、異変が続いたので村上神社を建立し毎年その例祭が行われている。その墓石の上部が欠けているのは、無実の罪をかけられた人が持ち帰り、恨みを晴らすことができると信じられているそうです。

久留嶋記念館 

 近くに久留嶋記念館が有り館長さんより話を聞く事ができました。同行した家臣達に、蒼々たる蒼き森林と言わしめ、島流し成らぬ、山流しにされた怨念が感じられました。木津川で戦った鳥羽の水軍(九鬼氏)も同じ目に遭っています。幕府の政策でそうなったと思いますが、水軍としての活動は徳川幕府の成立で終わりを遂げました。 

水軍の活動の終わりとその後

 300年後、ロシア(バルチック)艦隊を撃破した日本海海戦に村上水軍の丁字戦法を取り入れ(松山出身の秋山真之参謀の案)世界の海戦史上例の無い大勝利、東郷ターンと呼ばれた。日本海軍司令長官、山本五十六(南方方面視察時ゼロ戦に護衛されていたが、ロッキードP38の攻撃を受け一式陸攻が墜落し戦死、国葬になる。)も能島村上家(現在36代、武吉から18代)に挨拶に訪れています。現在、久留嶋氏の子孫は八王子市に在住、武彦氏の子孫は神戸市に在住、新聞に皇太子妃、雅子様が村上水軍の子孫だと報道されたと聞きました。

宇宙誕生より未来へ

 宇宙誕生137億年、地球誕生46億年、人類誕生5万年、卑弥呼より1750年?人間の一生は一瞬、「一睡の夢のごとし」かもしれません。地球誕生から終わりまでの時間に比べれば歴史も一瞬の出来事。光は、一秒間に地球を七周半廻り(地球の裏側も0.07秒一瞬で到達、月まで0.5秒?、火星まで11秒?)それでも宇宙空間では限りなく遅い。宇宙は無限で広い。太陽系、銀河系(半径5万光年太陽系は中心より3万光年)、島宇宙、銀河団、ビッグバン(核爆発のスピードで広がり続けている。)と想像を絶する。しかし人の思想は宇宙よりも又広し。賢者は歴史に学ぶ、歴史は繰り返す、と言います。愚か者の私は学んでも愚か者で終るかも知れません。しかし、これからも生ある限り歴史を学んで行くでしょう。人類の歴史は過去も現代も戦いの連続ですが、さらに進化して高度文明と新しい思想、哲学で平和な時代が訪れることを希望します。

ご挨拶とお願い

 この掲載内容は記憶違いや間違いがあるかも知れません。その際はご容赦下さい。最後までお付き合い戴き誠にありがとうございました。お気付きの点、感じられた事や情報等をメールでお知らせ戴ければ幸いに存じます。最後に全国に居られる村上水軍・河野水軍の子孫の方、関係者の方、歴史ファンの方々の健康と益々の御発展を心よりお祈り致します。          2003年2月3日記 かわぞえ みつお

村上水軍の歴史

 およそ1060年前の藤原純友の乱、(平将門と同時代)の頃から登場、村上天皇末裔、村上源氏、伊予の河野家と関わりが深く、(河野、来島騒動等)源平合戦、蒙古来襲、厳島(宮島)の戦い、木津川(大阪湾)の戦い、関ヶ原の戦いに関わっている。前期村上、後期村上に区別され、後期村上時代に分家し三島村上水軍と呼ばれるようになり、イエズス会の宣教師も日記に瀬戸内海に日本最大の海軍あり、名を能島殿と呼ばれていると記しています。徳川幕府成立後は能島村上家は長州藩に久留嶋氏は大名に成っています。又、戦国大名で今治藩主だった藤堂高虎の三重県津市・伊賀上野への転封に同行し、その人達が住んだのが伊賀上野市の伊予町だそうです。西日本新聞連載小説「下天を計る」藤堂高虎が主人公より。

木津川の戦い

 織田信長の石山本願寺(現在の大阪城の場所)攻めの時、毛利配下の水軍として、織田水軍と戦い大勝利を治めたが、第二次では鳥羽の九鬼水軍の鉄船と戦い敗北している。

NHKで信長の巨大鉄船(その時歴史が動いたで放映)

巌島の戦い

 山陰の小大名に過ぎなかった毛利元就が村上水軍を味方にして奇跡の大勝利、その後中国地方三カ国の大大名に成る。NHKで放映


佐賀県唐津市で赤帽を開業して22年佐賀県唐津市、佐賀県伊万里市、佐賀県多久市、佐賀県佐賀市を営業拠点に福岡県・大分県・宮崎県・鹿児島県・長崎県など九州全県をはじめ日本全国に緊急配送と引越しでご奉仕してきました。これからも緊急配送には赤帽緊急便・単身ミニ引越しには赤帽引越し便でご奉仕いたします。信用と実績の赤帽新日本急送をご利用下さい。

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