中世の山城『岸岳城』をたずねる
郷土史ファンら24人が新春登山で
平成20年1月5日、中世に松浦半島一帯に勢力を誇った波多氏が、唐津市の相知から北波多にまたがる岸岳(鬼子岳)に築いた山城『岸岳城』をたずねた。北波多歴史と自然を守る会(石崎俊二会長)が毎年、新春に行っているもので、同会の誘いに市内や県内と福岡県の歴史ファンら総勢24人が参加。唐津市文化課の文化財保護係の黒田裕一さんが同行して説明してくれた。
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岸岳は標高320メートル。北波多側から見ると、台形でその両端がわずかに隆起して、鬼の角のようにも見える。『松浦風土記』(文化年間=1805〜1817に編纂)によると、平安時代の12世紀に岸岳を根城として近郷の村村を荒らしまわる木角一族を、松浦党の始祖となる源久が退治したとの話がある。
さて岸岳城は、岸岳の鋭く狭い尾根づたいに築かれた典型的な山城で、北端の「旗竿石」から東に弓なりに湾曲して東端の「姫落し」は北東を向いている。16世紀の中頃に波多三河守が築いたとされているが、のちに波多氏に変わり唐津地方の領主となった寺沢志摩守広高が大きな改修を加えている事が、最近の研究で明らかになってきた。
波多氏は朝鮮出兵で秀吉のために領地没収され、慶長3年(1598)に流配先の筑波で客死、この城と波多氏の末裔と家臣団には、後世さまざまな不幸な伝説が残されている。
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守る会の新春岸岳登山は、まず午前9時に、物産販売所の「岸岳ふるさと館」に集合。最初に稗田の波多神社に参拝。続いて、このほど国史跡に指定された岸岳古窯跡を見学。唐津焼の窯跡で、唐津焼発祥当時の登り窯の跡が保存されている。これをしばらく岸岳側へ近づくと、波多氏の時代に茶屋と茶畑があったという茶園平へ着く。ミカン畑のなかの小さな駐車場に車を止めると、ここから急峻な山道を一気に山頂部へと登っていく事になる。そうたいした距離ではないのだが、傾斜が急なのと、落ち葉と腐葉土の堆積で足元が滑りやすいので要注意だ。
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この登山道は、いきなり三の丸の二の堀切付近へと出る。これは幅3メートルほどで木の橋が渡してある。最北端に近く、旗竿石はこの50メートルほど先。畳一畳ほどの岩に穴があり、守る会が建てた波多氏の家紋入りの旗がはためく。眼下には、北波多の中心部付近の町並みが広がる。絶景。
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引き返して二の堀切からは三の丸の幅10メートルていどの尾根が続く。ここで一の堀切に。幅が10数メートル程度高さも5〜8メートルもあろうか。難攻を思わせる。2の丸も幅10メートルほどの尾根が東へと約250メートル伸びる。その東端南側に城内大手口の5メートル四方ほどの石垣があり、攻め入る敵をここへ誘い込み、攻撃する空間でもあるという。ここを相知町佐里側に少し下ると大手門の遺構がある。
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城内大手口から尾根は東へと緩く湾曲して、いよいよ本丸。これも最大幅10メートルぐらいで長さは百数十メートル。本丸のあちこちから城郭があったころの古い瓦が露出している。現代の瓦よりもは湾曲が少なく、平べったい感じだ。もう正午近くで、一行は枯れ木や石に腰を下ろして昼食。ここで黒田さんが、文献にてくる岸岳末孫伝説について、江戸中期ごろからの記述を紹介。この伝説には、課税を強化しようという為政者側に対して、それを避けようとする百姓や町民らの思惑が色濃く反映されているらしい。つまり百姓や町民らは、波多氏に深く同情を寄せる事によって、当代の為政者を牽制したのである。
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本丸に更に続いて、三左衛門殿丸は長さ十数メートル。この石垣はVの字型にはっきりと破却の跡が見える。昔は城を放棄するさいに城跡を敵に利用されないために、こうした破却を行ったという。またここから真北へ向かって『縦堀』が、数十メートル掘ってある。急傾斜で攻手が転げ落ちる仕掛けで側面からの攻撃を防ぐ目的。
三左衛門殿丸の東の堀切を超えると、少し進めば北東端の姫落しに出る。山頂の分水嶺はストンと垂直に切れ落ちて、相知側への展望が開ける。畳数畳分の広さの岩で平たいので安心できる。姫落し岩のすぐ手前に、縦に深く穴があり、これは城から逃れる抜け穴との伝説がある。人ひとりが通れるほどの幅で、残念ながら先は埋まっているらしいが、なんともロマンを感じさせる。
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距離は短かったものの、急傾斜と滑りやすい地面。ひとりで登るのはお勧めできないが、北九州では最大規模の中世の山城で、400年の歳月と樹木の生長で崩れたところも少なくなかったが、素人でもまだはっきりとわかる遺構も数多く見られ往時の姿がしのばれる。今回参加もほとんど中高齢者ばかりではあったが、遺構を見、市文化課職員黒田さんの近年の研究成果を交えた説明は、わかりやすく面白かった。下山して午後2時半に解散。天気もよく、最高の歴史ツアーだった。
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